napachiのブログ

私見です

虐待の是非3…それを虐待だなんて思いもしない

虐待について考えたい。

 

パワハラ、いじめ等々とまやかし的に目くらましされている昨今。

 

ウィキペディアが正しいとは言わないものの、前に見た記事ではそれらは虐待の中にまとめられており、概ね私の考えに類似していました。

今日・今後はその記事がどうなるかはわかりませんがね。

 

 

意識的にやっている人はここでは無視するとして、無意識的に行われている虐待とはどのようなものがあるのだろうか、という私の考えをここに書き残す。

 

 

 

はじめに

※これは虐待を賛美するものではありません。

 

また、考察ではなく私の先入観といったもので思考したものになります。自発的に虐待について調べることはないです。

 

はて、虐待について考えていると、例え虐待されたことがない人がいたとして、虐待したことがない人はいるのでしょうか?

 

…もっとも、「加虐したことがある」なんて言動は罪悪視・蔑視の言論弾圧の憂き目にあって、表沙汰にはなかなかならないですがね?

 

 

どんな行動が虐待だろうか?

これから書くことは、あくまで個人的な先入観からくる個人の意見です。

 

そのため、虐待への印象や拡大解釈で考えています。

  

とりあえず、暴力や暴言は本人は無意識でも客観的にも明確なのでここでは除外します。

 

児童・動物虐待を例えとする

私自身の定義する虐待では意味が広すぎ、私自身説明しづらくなってしまう。

 

そこで、その中でもわかりやすそうな児童・動物虐待を用いてみたいと思います。

 

語弊を恐れずに言えば、児童も動物も同じ…ペットです。

だから、考えるのも簡単です。

 

とはいえ、ニュアンスは児童の方が強めです。

 

どのような言動か?

1・怒号

何よりもこれが第一ですね。

 

子供でも、ペットでも見られますよね。

その飼い主(親)に。

 

いかに、建築技術が高まったとはいっても、かろうじてでも壁や窓ガラスから聞こえてきませんか?

嘘か誠か行政(国)も言っていますよね。疑わしきは電話してって定義してなかったかな。

 

 

ペットは疑わしいですが、人間なら…

  • 萎縮
  • 脅迫
  • 支配

etc…させる/することができます。

 

ペットは動物番組なんかの動物虐待回で見ることはできますよね。

怒鳴り声に怯えるイヌなんかの映像。

 

 

怒号とはどういったものか?例えば・・・

  • 「オイ」
  • 「コラー」
  • 「モウ」
  • 「ナニヤッテルノ」
  • 「○○○○」(名前の呼び捨て)

etc…

 

怒号ということで声音が重要で、それも踏まえて罵詈雑言も含めてもいいでしょうか。

 

個人的には基本これらの言葉が言ったり言われたらそれは虐待とみていいでしょう。法律が認めなくとも。

 

ちなみに、これらの言葉って大人になったって嫌じゃありませんか?

言っている人は思いもよらないでしょうけど。

 

2・人間扱いする/同等として扱う

対等ではなく同等です。

 

  • 自分と同じに扱う…子供ならオトナ。動物ならニンゲン。
  • もっとひどい場合は、自分自身。意思疎通のできている想像上の存在を現実に投影している気分です。

 

すなわち、区別ができていないことです。

 

良くも悪くも、子供はオトナじゃありません。もっと言えば、ニンゲンではないといっても過言ではありません。

動物はニンゲンではないのです。我が子のようにかわいがったところでそれはコドモ(ニンゲン)ではありません。

 

 

人間扱いするの例としては…

  • 文章を話す
  • 自分の欲しい答えを求める(ただし、それを自覚できていない)

 

特に幼児以下や犬、猫なんかでよく見られ光景ではないでしょうか?

 

赤子に語り掛けるというのは教育や動物的には必要かもしれませんが、幼児や動物に理解できていない言葉をペラペラと。

しかも、1の怒号とのコンボときた。

 

理解が及ばないが吠えているのはわかる。

文章の長さがそのまま怒鳴り声の長さになります。萎縮しかないですよね。

 

 

2つ目のは特に児童向けですが、親の欲しい答えなんかわかんねーよって話です。

 

しかも、親自身がその答えを認識できていない。

 

3・非難・否定的

非難や否定自体は悪いことではなく、必要な場面もあります。

 

しかし、必要な場面があるだけで、常に否定などしていたらそれは必要な場面ではないことになります。

 

だからと言って、安直な肯定は問題かもしれませんが、否定よりはましでしょう。

 

基本的に否定はその行動などをやめさせるだけで何も生みだしません。否定した人が代替案を出すならまだしも基本的には出しませんよね?

 

 

否定の例

  • 「ダメ」
  • 「ヤメロ」
  • 「ヤルナ」

etc...

 

動物は言葉がわからなくとも、ニンゲンの感情がわかるとも言われています.

否定のニュアンスが伝わるのかはどうかわかりませんが。

 

否定の効果は昨今いろいろ言われていますが、大半はいい効果はなく悪い結果が出ている印象です。

 

 

言葉の理解の及ばない幼い頃から否定の言葉を浴びせさせられていく。

 

しかも悪いことに、怒号を含めた否定だけではなく、ポジティブなニュアンスをこめた否定もあるのが質が悪いです。

 

 

あとがき

ここまで書いてきて、これはただの事実確認ですね。私の先入観とはいえ。

 

それぞれの解決策は思いつかないです。

 

親ガチャ。

飼い主ガチャ。

ガチャガチャガチャチャ・・・

 

 

ちなみに、児童と動物で考えてみましたが、はっきり言って大人になったって、大人に同様のことをされるのは嫌じゃありませんか? 

 

暴力による虐待死はかわいそうとも思われているけれど、死なずに精神的な攻撃を延々され続けて成人せざるを得なかった人・動物(ペット)はかわいそうではないのだろうか?