2020現在、ひとえに「小児性愛」と言うと性犯罪が直結されてしまいやすいですが、ここでは個人的な定義に従い性犯罪性は除いた私見を書いています。
そのため、あくまで性犯罪を支持するものではありません。
※性犯罪を支持するものではない
なまじ性犯罪に直結されやすく、また”そう言うこと”として語られやすい議題ですが、ここでは性犯罪性は除きます。
ここは私見を書くので私の定義で語ります。
私の定義と言っても、重複しますが一般的な定義やちゃんとした定義から性犯罪性を除去した残りの部分には従います。
あくまで、性犯罪の原因としての小児性愛を支持するものではありません。
小児性愛は悪なのか?
ここでの定義で小児性愛を見た時、小児性愛は悪なのでしょうか?
性犯罪性を省いた小児性愛は気持ち悪いかもしれない。しかし、省いた後まで「悪」と断罪できるでしょうか。
そりゃ犯罪性を省けばただの性的指向または性的嗜好だろうと思ってくれるかもしれません。
いや、それでも悪いものは悪いのだと感情論や前提を無視して否定するかもしれない。
もうそこまでされたら何とも言えません。
ただ、対象に不快感を与えないこと。盗撮といった性犯罪以外の犯罪性を帯びない範囲で自己完結に楽しむのであれば、私は悪い事ではないと考えています。
小児性愛は必要である
「小児性愛」と一言で言ってもその範囲は広いようです。
これから書くことのために前提を追加しますと、成人も性愛対象に含める小児性愛者とします。
そのため、ここでの小児性愛の定義は次の通りになります。
- 性犯罪性を除く
- 成人も性愛対象に含める人達に重きを置く
出生主義か否かに関わらず、種の保存に従えばいろいろな人間種が必要です。
肉体・能力・性格・性的指向等々の様々な人間が必要であり、様々な組み合わせで出産し世代交代をしていかなくてはいけない生態系です。
この様々組み合わせを成立させるためにも、小児性愛も大切な一要素なのです。
小児性愛は病気や障害で語られます。
成人が性愛対象にならない小児性愛者に対しては大変生きづらく、近現代ではつまはじきの対象になっていますから病気や障害で片づけたいのでしょう。
くれぐれも小児性愛者本人が苦しんでいたり、嫌がっているならそれは病気や障害でいいとは思います。
病気か障害かは置いといて次の理由で小児性愛は必要だと考えています。
幼顔(童顔)・幼児体形の成人や小人症の存在
この10年でインターネットは浸透してきたと思います。パソコンは除く。(2020現在)
そうは言っても調べない限り知れることは稀ですが、世の中には成人でありながら恐ろしく幼い顔をしている人がいます。場合によっては小人症と言わなくとも体形すらも10代前半のように小さい人達もいます。
基本的に若さが大きいですが、実年齢が20代でありながら体形も小さく顔が幼いと10代に見えることもあります。
小人症は希少な病気に数えられていて私もネットやTVぐらいでしか見たことがなく、体形だけが子供並みに小さく顔は成人のそれと言うパターンが多い印象。
こうした人達に対して、一般的な恋愛観や性指向(ヘテロ)からしたらその恋愛対象にも性愛対象にもなりにくいのです。
あくまで主観ですが、一般的な性愛は同年齢±3で20~50歳ぐらいをその対象として、いわゆる実年齢相当の見た目を求めます。
そのように考えた時、子供と見間違えれるような成人や子供を連想させる小人症の成人は性愛対象から漏れるのです。
当人たちが望んでも一般人からしたら欲情できないから無理ということになります。
そんな彼ら彼女らの救済に小児性愛があるのではないかと考えたわけです。
そのために、成人も性愛対象になる小児性愛に重きを置いたのです。
少数×少数と言うカップリングの難しさ
ここまでは理想論的に書いてきました。
さらに理想を追加すれば、そんな幼い見た目の成人や小人症の成人等が小児性愛者と恋人関係になれる。ひいては性交をすると考える。
仮にそれも含めて、この考えが正しいとした場合でも一つ大きな問題があります。
それがカップリングの難しさです。
性犯罪性を無視したところで、小児性愛は性的少数者に数えられています。
また、幼い見た目で成人なんて珍しい存在ですし、小人症も珍しい病気に数えられています。
一般人では、多数×多数なのでそれなりにカップリングは易しいでしょう。
しかし、少数×少数ではカップリングを探すのは困難を極めます。
さらに、やっと出会えてもその人に好意を寄せられるかどうかと言いうのは別の問題なのです。
一般人以上に次を探すには労力が必要でしょう。
あとがき
昨今的には受け入れられないでしょうが、小児性ってくれぐれも本人達、特に小児の方が自発的に性的(性愛)な意味での好意を寄せているのであればそれはそれでいいんじゃないかと個人的には思います。
とは言え、小児性愛を問題視したい人たちの言い分もわからんでもない。
小児側の自発性の証明ができないことと、良くも悪くもそれに付随した小児の人権の無さがありますから。
性犯罪者からしたらもちろん被害者に人権はないですが、その反対の小児を庇護する側も小児の人権なんか無視していた方が都合がいいでしょうから。
それなら、臭いものに蓋ということで、小児性愛側を問題視もとい悪と断定しておいた方がいろいろ楽と言うのはわからなくもないです。