これは賛成派や反対派というものではありません。
是非を問うものでもありません。
「反」出生主義はそれなりにでもちゃんと理解して考えたものでもありませんが、それなりに考えていて行き着いた2020現在の私の考えです。
※これはいわゆるセンシティブな内容に当たるかもしれませんので注意してください。
はじめに
「反」出生主義とはザックリ言えば、「同意のない行為に他人を巻き込む。または利用する事が悪だとするならば、子(将来の人間)の同意なしにこの世に生み出す事は悪ではないのか?」と言う哲学的な議題であったり、その延長の「だから私は子供作らない」と言う主義だったりします。
…この表現はあくまで私個人の理解の範囲内によるものなので間違いがあると思います。
字面的に言えば、考えもなしにボカスカ産み出されたり、疑問視もされずに出産が良い事とされている現状に対する反論や反対の意思・主義と言ったところでしょうか。
出生主義者は産む。「反」出生主義者は産まない。
早速本題です。
単純な話、主義者の数と性質が問題です。
あくまで主義ですから、「反」出生主義者とは言っても主義を変更することがあるでしょう。その逆の流入もあれば、維持することもあるでしょう。この流動性は無視します。
- まず、出生主義者は子供を産みます。
出生主義だろうと結果的出生主義者(出生主義を知らない人)だろうと、それこそ馬鹿みたいに子供を産みます・産ませます。
それこそ「反」出生主義者がその主義を通している最中に裏ではどんどん出産が起きています。
無秩序的に人間が量産されていきます。
- それでは反対に「反」出生主義者はどうかと言うと、出生主義者の妨害がない限りには基本的に出産をしません。
あくまで「反」出生主義なだけで性欲はありますし、恋人や伴侶がいる人もいます。その関係性維持のためにも性行為にも更けましょう。
しかし、その主義に則り、避妊具等で避妊に努めていると思われるので妨害や運が悪くない限りには受精も出産もしない/させないでしょう。
すなわち、当人または当人同士だけで完結するので、反出生主義者は物理的に量産されません。
よって、主義の有無にかかわらず、結果的に出生主義者は量産され続ける。しかし、「反」出生主義者は直接的にも量産されないのです。
これは大きく、出生主義者によって無理やりに産み出された人間の内、いくらかの人間がこの「反」出生主義に行き着くという悪循環。
さらに彼ら彼女らに言わせれば、「反」出生主義者は円環外のはみ出し者だから眼中にはない。
「反」出生主義者は完結している
良くも悪くも「反」出生主義者は独身を通す人も多いでしょう。そうでなくとも恋人や伴侶は基本的にその主義を理解して賛同した人となるでしょう。
(※一夫一妻主義者でなければその分相手は増える)
「反」出生主義者が主張を広めるために子を産むのでは矛盾してしまいます。
結果的にも「反」出生主義者が増えるというのは、馬鹿みたいに出生主義者から産み出されてしまったうえで、出生主義に疑問を持った人と言うことになります。
しかしそんな人は、出産される人よりも圧倒的に少ないでしょう。
広めるものでもなく、広まったところで・・・
そもそも、出生主義であれ「反」出生主義であれ、その言葉さえあまり一般的ではないでしょう。
出生主義とは「反」出生主義が定義するところで言えば、より概念的なもので当たり前とされているものです。
そして、独身や子供がいないからと言ってその人や夫婦等が「反」出生主義とは限りません。
極端な話、「反」出生主義は自発的に広めるようなものではなかったりします。そうでなくとも、あらかじめ近しい考えの持ち主相手でもない限りには、天動説時のガリレオのような顛末を迎えるでしょう。
それほどまでに一般的なのです。
また、仮に広まったところで現状ある出生主義と「反」出生主義の立場の逆転でも起きない限りには、それでも産む奴はただただバカスカ産むでしょう。
もしそうなったとしても、2020現在の出生数よりは減るでしょうが量産される人間の数が0人になることは考えにくい。
「反」出生主義者は敗北している
出生主義者や結果的出生主義者(無自覚に出生主義に賛同している)は今日もどこかで量産しています。
「反」出生主義者は基本的には子を産みません。産ませません。
結果、人間は産み出され続けます。
これを敗北と言うには違うかもしれませんが、哀れな人間が量産されるという意味では「反」出生主義はそれを止められなかった・減らせないということで敗北と言えるでしょう。
出生主義は概念的に浸透しきっていることであり、「反」出生主義は圧倒的に少ない。そして、生む奴はボカスカ、いや馬鹿すか勝手に産み続けるのでやはり「反」出生主義は敗北せざるを得ないとも言えます。
まぁ、勝ち負けではないのですがね。
あとがき
ちなみに私は、「反」出生主義に賛同しています。
ただ、そこまで明確な意思があるわけでもなく、賛成しきっているわけでもないので少々弱い賛同です。とは言え、出生主義には賛同してはいません。
主義はともかく、この最終的な産む産まないの違いはとても大きいのです。
また、ちゃんと調べたわけではありませんが、「反」出生主義とは出生主義の後にできたものではなく、先んじて提唱されたように感じます。
これは例えば、社会主義と「反」社会主義と言う対立とは性質が異なります。
例題では先に社会主義があったから対立が成り立つのですが、「反」出生主義は自己定義をするために出生主義を後で定義しているのです。
よく言えば、それほどまでに出生主義がポピュラーであると言え、悪く言えば、「反」出生主義は単体意見としての定義が成り立たないような印象になります。