温泉をはじめとした公共浴場等でのタトゥー・入れ墨が問題視されています。
個人的に入れ墨をいれた人を観測したことはあまりありません。
現状数回見た程度。
そのため、私生活での印象ではなく、とあるアダルト動画を見て得た印象でこの問題視について私見を書き残します。
これは私見であり、個人的偏見である
はじめにも触れましたが、これはとあるアダルト動画を見ていて思考したものなので、偏っています。
昔はビデオが普通でしたが、もはや絶滅危惧種になって久しいです。
そのため、昨今ではアダルト動画の出演者のことをセクシー俳優(男優)やセクシー女優、または、性別問わずモデルとも呼ばれていたりします。場合によっては一部の人達はセクシー男優のことをエロメンなんて呼称しています。
すなわちタイトル通り、性欲に結びつけています。
なぜ、入れ墨を問題視するのか?
いわれ
入れ墨についてザックリ調べたことと主観で考えてみれば、いわゆるヤクザと言った反社会的な印象を想起させるからでしょうか。
実際そういう人達はイメージ通りに威嚇や見栄の意味を込めていたり、その延長で悪の象徴として一部の人達から憧れの象徴として利用されてきました。
そうしたものへの恐怖心や忌避感から問題視したり、排除しようという動きが長く続いているのでしょう。
私にもそのような印象がありますし、否定はしません。しませんが。
欲情できない
私は、入れ墨では欲情しない。
私の性嗜好で申し訳ないが、私は顔や好意、外部生殖器やそれに類する扇情部位という基本的な要素でしか欲情できません。
入れ墨の有無よりもそうした要素の方が私には重要なのです。
むしり減退する
これまた私の性嗜好ですが、これまで見てきたアダルト動画内のイケメンや女性モデルの肉体に大なり小なりの入れ墨があると性欲も冷めます。
もともと好みではない女性モデルや男性だったり、そこまで好みじゃなかったということも大きいですがね。
好みのモデルを見て気づく
「好み」がとても重要で、とあるアダルト動画を見ていて好みの度合いの高いイケメンモデルが出演していた。
肩のあたりにやや小さなタトゥーをいれていた。
そこで気づいたのです
タトゥーをいれているのに欲情できていたと。
自分の性欲的に減退する要素があったとしても、それを上回る欲情要素があれば関係がないということを。
たぶん、みんな欲情したいのだ
主観を元にした斜めな視点になりますが、たぶんみんな欲情したいのです。
欲情したいけど、それを減退させる要素がある。それが入れ墨・タトゥーです。
とくに公共浴場等の裸を見れる場にあっては、ヘテロ至上主義者は反論するでしょうがみんな同性に欲情したいのです。
むろん、それ以外の場では異性に欲情したいのです。
傷物よろしく、入れ墨は本来の裸から見て異質のため欲情のためには邪魔なのです。
欲情したいのにその異質性が邪魔して、減退させるからです。
「欲情したい欲情したい…
欲情したい欲情したい…
欲情したい欲情したい…
…そうだ、それなら不慮の事故による傷はともかく、本人の意思で有無が決まる入れ墨をやめさせればいいんだ」
という、多数の性欲が恐怖にもかこつけて入れ墨排斥運動を仕掛けているのです。
入れ墨では欲情できないと自己紹介すべき
入れ墨による恐怖や異質性への忌避感があることはわかります。
しかし、入れ墨を問題視したい人達は自分の性欲と向き合うべきです。
正しく自分の性欲を自覚するのです。できればそれなりに細かく。
そして、問題視したい感情の割合で性欲が2割以下ならそのままでいればいい。
3割以上あったのならこういうべきだ。
- 「私は入れ墨では欲情できない」
または、
- 「入れ墨を見るとせっかくの欲情が覚めてしまうから、私のためにやめてくれ」
これまで入れ墨を問題視してきた人達は、これからはそのように自己紹介をしましょう。
おわりに
私の性嗜好として、入れ墨は基本的に減退します。
上記でも触れましたが、それ以外の基本的な欲情要素が勝っていると、自分にとっての相手のマイナスポイントも関係なかったりします。
場合によっては、マイナスが0になるのならばプラスにもなり得ることもあるでしょう。
問題視が仮にここに書くように性欲であるとすると、問題視化が支配(欲)であることが明確になるのではないでしょうか?
もっとも、問題視の反論として本人の自由であって強制すべきではないという声もちらほらあるわけです。
私自身、私の欲情要素ではないだけで、本人の自由でいいのではないのかと思います。
そもそも入れ墨以前に能動側も受動側も好き嫌いの組み合わせは千差万別なのですから。