napachiのブログ

私見です

虐待の是非1…”楽しい”から、なくなれない・・・

言葉としては存在しても、ある程度認知されるようになったのは2000年を数年してからの事でしょうか?

 

「虐待」

 

ここでは個人的は虐待に対する見解を書いています。

 

 

 

 

はじめに

実際にあったかは別にして、「虐待」という言葉が認知されるための一時的虐待ブーム?に虐待が作られました。

 

代表的なものは幼児虐待、老人虐待でしょうか。

 

 

個人的には、虐待とはもっと広義的に解釈していいのではないかとも思っています。

 

いわゆる「いじめ」や「ハラスメント」も虐待に含めていいのではないかとも思いますが、一般的には別物のようですね。

 

ここでは個人的な意見ということで混同します。

 

 

また、タイトル的にあれですが虐待を賛美する気はありません。

 

 

なぜ、虐待をするのか?

タイトルであれですが、個人的に支持するその答えは無関心だったりします。

 

「虐待していることに何の感情も思考もない」

 

議論系のまとめサイトなどで同じみな答えの一つかと思いますが、それだと終わってしまうので準じて楽しいからとして考えてみました。

 

 

虐待自体が楽しいという目的化。

または、娯楽としての手段化。

 

目的であれ手段であれ、楽しさや発散のためにしているから悪いとはつゆとも思わない。思っていない。

 

その反面、悪いことに対する嫌悪感や批判精神は人並みにあるため、それが虐待だと指摘されることには敏感だったりします。

 

なお悪いことに、その「楽しさや虐待=その悪いこと」という認識が無自覚だったりします。

 

 

虐待は悪なのか?

虐待される方からしたらたまったものじゃありませんし、想像に難くありません。

 

先のように拡大解釈すれば大なり小なり虐待は多くの人が経験していると言えます。

それこそ、こちらも無自覚なほどに。

 

 

それでは、反対に虐待する側にはどのようなメリットがあるのでしょうか。

 

想像の域を出ませんが、次のようなものが思い浮かびます。

  • 楽しさ(娯楽)
  • 憂さ晴らし(発散)
  • 支配欲
  • 正義感(偽善やしつけ感)

 

 

被害側として、虐待を責め立てる言説は多いです。

無関係な第三者からも否定されています。

 

しかし、思いつくだけでも虐待する側にメリットがあってしまいます。

 

仮に上記4つがあり得るとして、この全てまたはいくつかが混在して成立しています。

 

楽しさだけなら、子をしつける親のように洗脳なりで矯正ができるかもしれませんが、他はどうでしょうか?

 

加えて、これらが無自覚か自覚していても、悪意的にやりたくてやっているとしたら?

…おっと、悪いという論調にしてしまいました。

 

 

  • 楽しいし、
  • ストレスの発散にはなるし、
  • 上位という錯覚と殺生与奪を握っている優越感、
  • 自己正当化と他責化・・・
    (加害者こと自分が正しく、被害者が悪い)

 …加えて、これがお手軽にできるときた。

 

これらの欲望をまとめて満たせるうえで簡単ときた趣味/事物は他にあるでしょうか?

 

スマホ?ゲーム?TV?読書?・・・

…例えばこれらで満たせればいいものの、しかし満たせているならばこう問題視はされていない。

 

そして、それらで満たそうとすれば、電源を入れるのも、本を開くのも億劫。

加害者にとって、その程度のことは億劫で、加虐の方が精神的にも現実的にも簡単なんでしょう。彼も彼女も・・・

 

 

虐待とは、基本的に人。広義的に生き物に向けてやるものです。

電源さえ億劫な身のうえであれば、虐待(加害)は文字通り「すぐ」にできます。

  • 家に帰って「すぐ」にいる人や生き物に
  • 目の前の部下に、人に、生き物に

これだけ簡単でこれらのものを満たせる事柄が他にあり得るのか?

(この虐待しかない人に、同等または上等な代替案があり得るのか?)

 

 

虐待に代わるもの?

無関心にしろ、個人的な意見のとおりに楽しんでやっているにしろ、それらの場合に虐待する側は代替案や解決策は欲してはいません。

 

スラングで言うところの、無敵の人に近しい存在とも言えます。

 

虐待を悪だと断じるならば

虐待された側、第三者がこれを断じるならばどうしたものでしょうか。

結局、悪いにもっていかないと意見が言えないのが悲しいところです。

 

 

虐待された側、第三者に何をすればいいのでしょうか?

 

虐待された側は

性嗜好や依存関係ではない場合、あくまで被害者として何ができるか?

 

これまた想像の域を出ませんが、以下の三択でしょうか。

  • この世に絶望するのか(死)
  • その勇気もなく、逃げれず反撃を試みるか(暴力)
  • 逃げるか(逃走)

 

世間的にも、本人の利己的にも逃げるがより現実的でしょうか。

行く当てがなくとも、各種行政が敵になるという話があったとしても。

 

三者として

政治が悪い、社会が悪いと他人事にするほかにないと思います。

 

それでもいくつか思いつくものはあります。

とはいえある程度語りつくされている意見ではありますが。

  • ストレスフルな社会をやめる
  • 加害からその人や生き物を剥奪する

 

●ストレスフルな社会をやめる

ストレスフルの代名詞「労働」

とりあえずこれをしなくて「も」よい社会性にする。

大事なのは、しなくて「も」よいです。

 

これに関してはちょこちょこ話題になるベーシックインカムといったものがいいでしょうか。 

その理想像は人によってまちまちで、仮にこれが実現できるとしても、その実現されるまでは時間がかかるでしょう。

政治的(社会的)にも議題にも上がっていませんし、社会的にもまだまだ浸透していない。

 

●加害からその人や生き物を剥奪する

これは広い意味で保護になりますが、より強権的にさながら強奪です。

また、養育です。

強奪はともかく、養育とは死ぬまでその面倒をみる。人間であれば本人の意思がない限り最期までその面倒をみる。

 それこそ保護施設で一生を終えてもいいというような状況を想定しています。

 

国家主義的には強権化には反対しなくてはいけませんが、そうでなくても政治はこれを放棄しています。 

 

「死ぬまでの金をかけられない=無駄」

 

児童保護施設がこの考えに近しいかもしれませんが、一定年齢になったら施設を出なければならないと言いますし、それでは救いがないと思います。

 ただ、児童以外は保護施設はないですよね。

 障碍者はまた意味合いが違うので除外しますが、DV被害者の男女の保護もあったとしても民間で最期までってことはないでしょう。

 

老人施設も老人虐待とは意味合いが違いますが、行政施設という意味では民間委託とは名ばかりに手放しているのが現状です。

家畜は殺処分を前提としているか、面倒を見切れないということで里親探しが基本です。

 

それも犬猫ぐらいでしょうか。それ以外の魚・昆虫・爬虫類・哺乳類はどんなものか?

 

おわりに

虐待は悪なのでしょうか?

悪だとしたらどうするのか?

…手垢のついた議題ではありますが、これが今のところの私の意見になります。

 

 

あくまで虐待に賛同する気はありません