napachiのブログ

私見です

年賀状という悪習は、やめていただきたい

年賀状不要論者である。

 

理由はあらかた他の方々が述べている通りだ。

 

こんな身の上でも数人それだけの関係の人がいるが、願わくば、来年からは不通になってほしい。

 

「知らせがないことが良い知らせ」

 

体だけの関係なんて言葉がありますが、それにも満たない関係なんだからこの言葉を知ってほしい・・・

 

 

礼儀?何それ見返りを求めるなよ!

なんてなことは本心だが、面と向かっては言えない弱い私だ。

 

送りたい奴っていうのは送りたいから送るのであって能動的だ。

 

それに対する受動的な人間の一人だ。

 

 

何かをされたら同程度か同類かで返す、という怨讐を礼儀としてしまっているこの国にあって…いや、どこの国も変わらんか。

 

いわゆる、やられたらやり返す…だ。質が悪い。

 

弱い私は一応はその礼儀に従っているので、返信してきたがいよいよ嫌になってきた。

 

 

とある考えを引用するなら…

 

「相手(又は私)が自発的にやりたくてやっていることならやらせるが、私(又は相手)がそれに反応する必要はない」

 

…だから、返信を望むなよと沸々と思いながら、返信をしたためる。

 

送りたきゃくれればいいが、見返りを要求するな。

 

見返りをしたら、その気持ちに泥を塗っていることになるんだぜ?

 

まぁ、見返りを望んでいるのは無意識かもしれないから、わからんのだろう。

 

無意識の事はわからないものだ私だって。無意識なんだから。

 

 

礼儀ってのが悪いよね。

 

見返り欲しさに、でっち上げたもん勝ちって話でしょ?返信が礼儀ってんなら。

 

しかし、礼儀ってよくよく考えてみたらこれじゃおかしくないだろうか。

 

もはや礼儀も形骸化が叫ばれて久しく、意味なく慣習になっていて辞めがたいという意見もわかる。

 

礼儀とは、基本的に相手の好意に報いることとすれば、その行動は報いとして適当か一度考えてほしい。

 

確かに、私も凡夫の端くれとしてまだまだ見返りを人物評価にしてしまうことはあるけれども。

 

例えば、その人が見返りを意図していなかったり欲してはいなかったら、それに見返ることはその好意を踏みにじることになり、すなわち無礼になるとは考えないのだろうか。

 

たまにそうした場面を映す漫画やアニメがあるが、それを見てどうも思うことはなかろうか。

 

 

返信だって、金がかかる

一昔前のように、メールでさえ無礼とされていた時ならまだしも、その時よりも各種ネットサービスが増えていたり、それこそメールの返信も少しは許容があるような昨今。

 

なら、そうしたらと思うかもしれないが、ハガキだけのつながりだから仕方がない。

 

さらにこちらとしては、SNSといった半永久的なつながりを望んでいるわけでもない。

 

向こうもそうだろうが 、年賀状ごときで胸いっぱいになれるほど向こうに好意を寄せているわけでもない。何年も好意を秘めたり寄せるなんて言えば美談だろうがそれが無いのだから仕方がない。

 

だから、年1回のためだけにメアド等を知らせるのも釈然としない。

ただでさえ向こうはこちらの住所を知っているのだから。

 

 

年賀状受け身にして、コンビニ年賀状をここ何年ともはや愛用している一人だが安くないんだぜ?ハガキって。

 

書き損じを加味したって、最低3枚セットで確か400円(税金込みかは忘れた、2020年1月初頭現在)

 

年賀状を送るってことはだね、出費を強制しているのですよ…これが礼儀ですか?

 

こっちだって金払ってんだから当たり前だろう、という不幸の連鎖を年始早々に強要しますか・・・

 

 

そうでなくたって、年賀状がなければ寒中見舞いでしょう?

 

既製品であれ普通のハガキであれ、そのためにわざわざ買いに行かなきゃいけない。

 

仮に普通のハガキで安く抑えるったって、数年ごとに切手代が上がっていて、いずれは1枚100円になるんじゃないかって勢いじゃない?半分冗談だけど。

 

そして、ものによってはわざわざ切手も別途購入しなくてはいけない。

 

切手がないタイプなんて、実質2倍の金額じゃない?切手かハガキの…別途購入だから当たり前っちゃ当たり前だが。

 

 

それだけのために外出

これはいささか難癖ぽくなるが、私は出不精である。

 

仕事だから仕方なく外に出るが、可能なら外に出たくはない。

 

 

まぁ、そんなことは知らねぇよって話だ。

 

例えそうでなくとも、返信をするためにポストまで外出しなくてはいけないことには変わりがない。

 

よろしくはないが、年末年始のない仕事ならそのついでにできるけど、何もなければそれだけのために…徒労以外の何物でもない。

 

なぜなら、年賀状だけの関係なのだから。

 

 

この徒労に名を付けるとすれば、暗黙の労力とでも言えようか。

 

通勤退勤とか労働現場で、さも当然と無視されている概念なだけに、生活にもなじんでしまっているのかもしれない。

 

一時期の家事なんかもそういう目で見られていたと記憶しているが、どうだったかな。

 

 

外出ではないが、物を持っていないから手書きになる。

 

住所書きから一言書き…レイギには一応従う人間だからせめてボールペンを使う。

書き損じの恐怖。

 

これはもう、礼儀というよりただのジンクスだがそれが縛るよね…書き損ぜない。

年賀状だから。

 

弾切れを起こせば別途再購入・・・

 

 

まとめ

ケチ臭いと思うかもしれないが、タダではないのだよ。タダでは。

 

しかもその程度を苦労と言うなと思うかもしれないが、こっちはそれが面倒くさいのだよ。

 

そんなに見返りが欲しけでゃ、各種ネットサービスなり、返信用のハガキをつけてはくれないものだろうか?

 

いつこっちがくれと言ったのだろうか?

 

 

あとがき 

そもそもビジネス上の関係ならまだ意味を感じなくもない。

 

しかし、一個人間の、しかも年賀状だけの関係だ。

 

それだけの関係で何かあったらいろいろ配慮してくれるのだろうか?

 

こっちは何もできんと言うのに。何もだ。

 

話に聞くワンナイトラブとか、体だけの関係よりも酷くはないか。

 

織姫と彦星ったってそこには情欲があるから待てるのにこれには何も無いんだぜ?

 

 

さて、どうなることやら。