napachiのブログ

私見です

アイドル(偶像崇拝)とは、疑似恋愛の追体験なのかもしれない

もはや手垢の付いた題材かもしれないけれども、いざ経験してみて感じたことをここに書き残す。

 

 

 

きっかけ

私がこれを感じる原因となったのは、無名のアイドルでもなければ、無名のイケメン俳優(美人俳優含む)でもない。

…男娼である。

と言っても、ホームページの向こうから、ただ宣伝写真を眺めているだけ。

男娼なだけに一夜の恋と言えば、これは片思いだったのかもしれない。

利用してもいないから、客でもない蚊帳の外の存在だけれども。

 

そんなとある男娼が辞めることを表明したのである。

 

※男娼って表現でいいのかわからないけれど、ここでは男娼とか娼婦とかにしておく。

 

男娼だろうと娼婦だろうと、有名無名のアイドルだろうと俳優だろうと芸人だろうともいつもどこかで辞める人はいる。

そして、ファンだった誰かがその喪失感を「○○ロス」などと称して、懐古や感情を何かしらで吐露していることだろう。

 

いざ、経験してみると・・・

いざ、直面してみるとなかなかな喪失感だ。

仮に、金と勇気…この二柱が備わっていざ利用することがあったとしても、その時には彼がいないことは想像に難くなかった。

そうでなくとも彼が辞めるまでは画面の向こうで、眺めているだけだと思ってはいたけれども、いざ…ね。

 

各所でやれ美少女アイドルが引退するだの、イケメン俳優が辞めるだので喪失感を訴える老若男女がいて、安直だなって思ってきた。

 

たぶん、疑似恋愛をしていたのかもしれない

ファンとしての喪失感…これは疑似的とはいえまがいなりの恋愛をしていたからこそ感じるのかもしれない。

ファンでいるということは、疑似恋愛をしているのか。

イケメンアイドルを追っかけていようが、ホステスに首ったけでいようが。

片思いでもそれは恋…? 

 

「アイドル(偶像)=現実/個人」を元にして、「自分の中に形成される理想のその人/アイドル」に恋をしている。

 

一夜の恋とはよく言ったもので、その質はアダルト動画のようにおいしい部分をずっと妄想していられる。 

恋愛経験があろうと、なかろうとも延々と繰り返される同じ妄想世界での甘い一時。

 

ファンとして現実の本人を見れたとしても、それはただの妄想の補完と更新に利用される。

 

疑似恋愛とは?

疑似恋愛とは、恋愛に似て非なるものへの私の造語または、意味合いを込めています。

「恋愛ごっこ」という揶揄がありますが、まさしくそれか、あくまで恋愛をしているという錯覚のことを言います。

 

「本人が思っているならそれがそういうものだろう」と言いたくなりますが、違うのです。代名詞である少女漫画のように胸キュンの1場面1場面で満足しそれを求めているような状態が疑似恋愛です。

一応好意がなくもないけれど、見えているのは妄想であり、現実の対象に望むのは妄想の維持かよくて改善更新という半束縛的感情。

 

私自身恋愛経験が片思い程度しかないから語れないけど、多分恋愛って違うじゃないですか?思春期のセックスへの憧れみたいに

理想はいくつになってもいちゃいちゃラブラブでしょうし、そうであればあるいはでしょうが。大半の恋人(夫婦含む)はそうじゃないし、たしかに1日の内の数時間だけというイベント的に関わっていてもその毎日の時間中に毎回漫画みたいなイベントなんて起きやしない。

 

そうした、つまらない平凡さや望まぬ部分を見ずに経験することなく、おいしい部分だけを延々リプレイしたり、その先を好みに妄想し続けてその答え合わせをしていることを疑似恋愛と言います。

 

絶対的な終わりの存在

反面、ファンとしては所詮ファンである。

そこに「絶対的な」越えられないものがあることを、意識せざるを得ない。

この絶対的なものにはいくつかあるが、何よりは「終わり」であろうか。

 

死ぬことではない、辞めること。

広い意味では死も含めるが、人間、自分ですら死ぬなんて思っている人は少ないでしょう?ここでは除外します。 

ただ、完全にその業界から身を引くという意味では、ある種の死に近しいものだ。

ファンとしては、これ以上関われないし、知れないし、拝めないのだから。

 

アイドルと言えば芸能界・芸能人。

芸能界と言っても、それこそ寿命が尽きるまでアイドル(芸能人含む)でいられる人は少ない。

大半は何歳かしたところで辞めるか、良くて活動停止であろう。

有名どころになれたとしてもこのような終わりが確実にあるし、それしかない。

舞台の上では死ねないのだよ。 

 

芸能界とまではいかなくとも、風俗業とも言わなくとも、レジ打ちをしている美人店員やイケメン店員なんてその最たるだろう?

その大概はバイト・パートであり、ほとんどが学生だろうか。

学生なら長くとも卒業までの3~4年の期間限定だし。主婦/主夫なら大体子供が入学するまでかある時点からの卒業までだろうから、こちらもだいたい3年ぐらいしかその美貌を拝むことはできない。

ただし、長く勤める場合に限ってもその程度が限度。

 

無名だとしても地下アイドルはなかなかに厳しいとも聞くし、そして、これは私個人の印象だが無名の俳優は長くとも、現役大卒を控える20代半ばか、30歳前後の2パターンで多く辞めているような印象にある。

 

ここでの無名俳優とは、少なくともその美貌を買われて足を踏み入れた人たちである。

少なくとも毎年1度は必ず美人女優とイケメン俳優が生産されているのだ。

 

望むと望まざるとに関わらず、ファンとはこの終わりを頭の片隅に燻ぶらせつつ、彼・彼女たちがアイドルとして居てくれるというサービスを楽しむほかにない哀しい存在とも言えよう。

一部のファンはこの認識がないから、悪い意味で一線を越える。

良い意味で越えれて良い結果を得た人には羨望の眼差しを向ける…哀しいな。

 

あくまで、「疑似恋愛の追体験

自分に由来しない、半ば不条理とも言える対象に終わりがあるからこそ、「疑似恋愛=空想上の恋愛」が掻き立てられるのかもしれない。

ハッピーエンドが望まれる割には、悲恋の方が作品や感情に訴えやすいのか。

 

あくまで、自分に由来しない(疑似)恋愛対象自身にあるタイムリミットが疑似恋愛への悲恋性を増させる。

増させる悲恋性は空想の恋愛をより色付けしてくれるし、よりその対象をよく見せてくれる。

 

空想上の恋愛を現実に投影させて、疑似恋愛の追体験に興じる。

 

でも、やっぱり・・・

疑似恋愛であり、終わりが想定できていたとしても…やっぱり喪失感があってしまう。

よく言われるのが、見ず知らずの他人の死よりも思い入れのある人の死の方が辛いよねっていうアレである。

まがいなりの片思いとは言え、疑似恋愛として自分でも驚くほどに思い入れていたようだ。

 

まさに初恋の片思いの時のような喪失感よ。

 

 

おわりに

同級生か同学年に初恋や片思いの人がいて、10年以上経過してから久しぶりにアルバムを見るときはその記憶を捨ててから見ることをおススメする。

 

彼女の顔がこんなんだったっけ?って驚くから。