napachiのブログ

私見です

虐待の是非6…正しく、虐待者を見下したくなるが・・・

私も虐待を”悪いこと”とは思いますが、基本的には興味がないですよね。

 

よくても、案外そこまで悪いとは思われてはいないのかななんて思います。

 

 

 はじめに

私の言う虐待の意味は、一般の認識に比べると広義的になります。

 

ウィキペディアが正しいとは言いませんが、私の定義はそうした辞書サイト系に近しいものになります。

 

例えば、「怒る」っていうのも私の定義上は虐待の1つにしています。

www.nanapachi.com

 

 

虐待者を見下すのほ簡単だ

虐待について、解決策やせめての事実確認は興味がもたれません。

大概の場合、虐待者を見下して終わりです。

 

そのため、あえて文章にするまでもなく、さらに各人の見下し方がありますから。

 

 

見下しの効能は、優越感といった支配欲の他に、自分を対象より上位の存在と仮定して無関係だと思い込むことにあります。

 

しかし、どうせ見下すなら適切な見下しがないかと思い書き残します。

そうは言っても、そこまで目新しいものではないと思います。

 

「ま~た、虐待しているよ」って

  • 加虐が行われていること
  • 虐待者が加虐していること
  • 自分はその行為を虐待だと理解できていること

 

見下すときそのたびに必ず「虐待」という言葉を認識すること。

そうすれば上記のような自己満足感も追加で得られるかもしれません。

 

ちなみにこの場合の言葉は虐待に関わるのであれば適切なものでいいです。

怒ってる?虐待?各種ハラスメント?適切なものを。

 

 

ただしこれは、同じ穴の狢

あんまり論理的な考えはまとまってはいませんが、例え虐待者を対象にしているとはいえ見下すということは、同じ穴の狢を意味していると思います。

 

ミイラ取りがミイラになるでもいいですね。

 

表現するかしないかの違いですが、過小評価を下して、侮辱することは虐待の内に含まれます。

 

多分、虐待者の半分は例えその行為を虐待だと指摘されても理解できないでしょう。自分は違うって。

少々暴論ですが、そういうことです。

 

 

あとがき

そう意味では私も・・・